⼤連30年⽬・第2のチャレンジ!!

中国・⼤連に⼯場を興し、早や31年⽬を迎えました。

思い起こせば無謀にも、無⼀⽂同様で荒れ果てた⾦⽯灘の、当時村役場を⼯場として借り受け、⼤連
愛光はスタートさせました。40名の⼆⼗歳未満の男⼥、仕事経験完無の⼦供たち集団?での会社産
声(うぶごえ)が⾦⽯灘の波間に響き渡りました。

それからの年の流れは、正に現状の中国の経済の流れをそのまま現し、⼤連開発区は少数の⽇系⼤⼿
企業が数えるほどに散在して稼働する現状で、少し前の⽇系や外資系企業が軒を連ねる盛況さは、既に
過去の語り草となってしまった感じです!

そのような⼤連開発区を知る⼤連愛光です。⼤連愛光は零細企業そのものでのスタートでした。背伸び
出来る余⼒を持つ企業ではありません。地道に13年を掛けて旧⾦⽯灘役場⼯場を抜け出し、開発区
⼊り⼝・樹源団地に⾃前⼯場を⾃⼒建設しました。

その後、最重要顧客・⽇本コマツ製作所様・いすゞ⾃動⾞様⼆社の揺るぎないお引き⽴てを頂き、30年にも亘りますご愛顧を頂戴いたし、今⽇に⾄って
おります。その甲斐もございまして、昨年、念願の開発区内へ、新⼯場という望外の移転が敢⾏されました。23,000㎡の敷地、22,000㎡の⼯場と、これま
た望外を超す恵みを頂戴できました!

⼩職倉永は、20歳の折り⻑兄が興した㈱愛光に参⼊しまた。当時、⽇本は⾃動⾞産業全体がスタート間もなく、設⽴間もない会社には仕事すら無い、全て
がゼロのご時世でした。そんな折り、兄たちの勧めで、⽇産⾃動⾞へのクリップ販売(売り込み)を始めました。クリップなぞ、如何なるものかは知識ゼロの
私でした。1か⽉後に⽇産の購買窓⼝は⻤怒川ゴム⼯業と知り、何もわからぬ私はある意味、無⼼に購買担当者にしがみ付き、売込みに終始しました。
数週間後、幸いにも注⽂に有り付き、以降順調に注⽂が継続し続きました。2年、3年と継続する中、数年後には⽇産⾃動⾞⼀社で⽉間5千万円を超える⾦
額まで成⻑しました。

私は、以来、60年間、この⾞両⽤クリップ⼀筋販売の⼈⽣でした!本当に、クリップの⽣産と販売しか知らない⼈間です!!
この度新⼯場をお与え頂きましたお礼に、新たな⽣産&販売をとして新たな事業展開として開始致しました、クリップの⽣産&販売に次ぐ第⼆の主⼒⽣産
販売を⾏う次第です!!

何とぞ宜しく、ご⽀援を皆様⽅々に⼼よりお願い致します!!

2025年9⽉末⽇

Aiko Clamp
大連愛光汽車部件有限公司

董事長・総経理  倉永和男